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2007年01月21日

●第38話(スイス時計・ゼニスについて)

1865年にスイスのルロックルで創設されたゼニス社は、クロノグラフの名機エル・プリメロを1969年に開発発売したメーカーとして世界中で有名です。現在では年間製作本数は約10万個です。

欧州では知名度の高い時計メーカーでしたが、日本では各種時計雑誌の特集で、ここ最近になって噂に上るようになりました。爆発的な人気が起こったロレックスデイトナに、ゼニス社のエル・プリメロが採用されているために余計に人気に拍車をかけたのでしょう。

日本に最初にゼニスを紹介した貿易会社は卸商の東邦商事で、ゼニスの日本総代理店になりました。それからリズム時計へ移り、現在は大沢商会が一手総代理店です。私も30年間で、わずかしかゼニスの分解掃除をしておりません。と言うことは、日本では過去においてあまり販売実績がないのかもしれません(ラドー、テクノス、ウォルサム、ユニバーサル、エニカ、オメガ等は数え切れないほどしましたが)。しかし機械式ボード・クロノメーターや懐中時計を製作するメーカーだけに、非常に良い機械だったことを鮮明に記憶しております。

30年前のゼニスキャプテン4615SS自動巻腕時計が75000円、と高級時計の範疇にはいる価格帯でした。ほとんどのゼニス腕時計が 5万円以上だった記憶があります(大卒初任給5万円の頃)。

また、ニューシャテル天文台コンクールの常連で、いつもトップクラスに成績をおさめておりました。名機エル・プリメロCal3019は36000振動で、クロノは10分の1秒まで計測可能な31石の自動巻でした。

ただ、悲しいかな、発売された1969年は時計業界の大変革期(後日詳しく説明します)で、クォーツの大波に淘汰、消え去る運命だったのです。腕時計の電子エレクトロニック化に立ち後れたスイスの各時計メーカーも例にもれず、ゼニス社も業績悪化から異業種のアメリカの会社に買収され、話題にあまり上ることもなくエル・プリメロも消えていったのです。しかし1980年後半、スイス時計の各メーカーの機械時計にかけるめざましい復興により、ゼニス・名機エル・プリメロもシャルル・ヴェルモ氏の努力(破棄命令を受けたエル・プリメロCal3019の設計図面を大切に何年にも渡り保管、秘匿されたのです。この設計図面がなければ、エル・プリメロの復元は不可能だったでしょう)により、見事に復活したのです。

ゼニス社は数少ないスイス時計のマニュファクチュウルの一貫生産メーカーでもあります。と言うことは社が存続する限り半永久的にその製品に対して責任を持っていると言う事でしょう。ゼニス・名機エル・プリメロは高精度のクロノグラフにもかかわらず、良心的なリーズナブルな価格でこれから日本でもますます沢山売れていくのに違いありません。最近ではゼニスクラス・エリート手巻き・及び自動巻を8月より発売しだしました。このムーブも見てみたい機械です。

30年前の機械式腕時計の頂点を極めたころのゼニス社は、オメガ、ロレックス、ロンジン、インターナショナル、ジラールペルゴーと並び表されるスイスにおける確固たるトップの一員の地位にあったに違いありません。その業績は誰もが認めることでしょう。