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2007年01月22日

●第291話(ロンジン社について)

茨城県S様からご依頼のアンティーク・ロンジン・コンクエスト手巻き腕時計 (28,800振動・Cal.6942 17石)は、4番車(1分間に1回転)に特殊な形状のカムが取り付けられており、楔(くさび)型のレバーと連動して、正時に秒針をセット出来るようになっていました。
今まで何十年と修理をしてきましたが、非常に面白い工夫した時計だと思いました。
この手巻き腕時計にはジュガールクルト等の高級腕時計に採用されている精密精度調整スクリューが取り付けられていて、 ヒゲゼンマイ外端曲線修正後、ほぼクロノメーター級の精度が出ました (http://www.isozaki-tokei.com/syuri-swiss_others.htm)。

以前からロンジン社の事は幾度となく書き込んできましたが、過去に於いて日本人とアメリカ人に多大な支持を得てきたスイス時計メーカーでした。
35年ほど前、日本においてはロンジン社の腕時計は、オメガとインターナショナルと人気を分けるほどのものでした。

現在のロンジン社はスウォッチグループの一員になっていますが、35年前は完全な独立系の時計企業で、サンティミエにあるロンジン本社には600名の社員(職人)がおり、トラメラムの工場には約100名の社員、ジュネーブの工場には30名の時計職人が働いていました。
しかし、約700名の社員の中で時計を始めから終わりまで一人で仕上げることの出来る完璧な技術を持った時計職人は僅か6名しかいなかったという事でした。
その予備軍として、スイス時計学校卒業の徒弟修業中の弟子が約30名いたとの事でした。

ロンジン社はエルネスト・フランシオンが、1867年サンティミエにあるスューズ河畔のロンジンという地名で会社を興しました。
一度も訪問したことは無いのですが、写真から見ると素晴らしい自然環境の中に工場が立地していた事が伺いしれます。
神経が疲れる時計職人の心をこの美しい環境が癒しの効果があったものと推察しています (このロンジンという地名はフランスの古い言葉の「牧場」という意味を 持っていたそうです)。

ロンジンファンの方なら誰もがご存じだと思いますが、あのシンボルマークは翼(未来の時間)と砂時計(過ぎ去っていく時間)を組み合わせた独特の マークでした。
このマークに惚れ込んで、ロンジン腕時計を所有したいと思われた方は過去に沢山おられたものと思います。
当時、ロンジン社はオメガ社と肩を並べるほどの高級機械式腕時計を、年間およそ50万個生産していました。 (精工舎は当時、メカ式2,800万個生産していましたので大変な数と言えるでしょうか?)
特筆すべき点は、他社に先駆けて1879年に秒針付き手巻きクロノグラフを 生産したことです。
オメガ社やインターナショナルと並び賞された高度時計生産技術を持ったロンジン社が過去の栄光を取り戻すべく、勇躍努力して欲しいと願ってやみません。