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2007年01月22日

●第289話(万年時計について)

NHKのニュースによりますと国立科学博物館とセイコーと東芝は、何と100人の技術者を導入し1年間をかけて、田中久重(からくり儀右衛門)が製作した1851年製の万年時計「万年自鳴鐘」を修理・復元し平成17年3月8日に起動式を行ったそうです。万年時計「万年自鳴鐘」は3月25日に開幕する愛知万博(愛・地球博)で公開し、その後は東芝科学館(神奈川県川崎市)で展示する予定だそうです。まさしく一見の値のある古時計です。

田中久重は、江戸時代末期に筑後に生まれて、からくり人形の最高傑作『弓曳童子』を作ったこととして有名です。又、田中久重は日本のエジソンとも言われていて佐賀藩から招聘を受け日本で初めて蒸気機関車を作った事でも有名です。彼の弟子等は初期の東京帝国大学・工学部の教授になり、現代のラジオ、テープレコーダー、テレビ、ファックス、携帯電話の出現を明治時代初頭に予言するほど極めて優秀な頭脳集団を育成しました。

田中久重(からくり儀右衛門)は東芝の創業者でもあり、弟子の中には沖電気の創業者になった者もいました。

和時計(自鳴盤)を日本で最初に作った人と言えば徳川家康に仕えた尾張の津田助左衛門がその人です。名古屋地方に時計産業(高野時計、リコー時計)が芽生えたのも津田助左衛門が大きな影響は及ぼしているに違い有りません。津田助左衛門も田中久重も手先が器用なこともさることながら独創的な発想でいろんな機械を作り続けました。

田中久重の万年時計(自鳴鐘)の大きさは、高さが約60cm重さが約38kgで2組ある真鍮製の強いゼンマイを巻くことで、1年間動く設計になっている驚異的な仕組みです。側面には、四季によって変化する和時計やフランス製の懐中時計など、6種類の時計を埋め込んでいる当時としては天文学的数字の価格の時計であったと言われています。

当時の時法は不定時法を取っていたために月によっては昼間と夜間の長さが異なるために田中久重は天才的な発想で特殊な歯車を作って是正できるようにしていました。

和時計には台時計、櫓時計、枕時計、雛飾時計、尺時計等いろいろがありましたが日本人はもともと時間に厳格で几帳面で時計を愛する土壌が昔よりあったものと思われます。