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2007年01月22日

●続時計の小話・第40話(時計台について)

日本最古の時計台と言えば、札幌農学校演武場にあった時計台がつとに有名ですが、札幌に行かれた人は誰もが驚かされるのは、ビルの谷間に札幌時計台があるので、少しはガッカリされるのではないでしょうか?

それに比べ、兵庫県豊岡市出石町(いずし)にある、辰鼓櫓(しんころう)は明治初期の時代を彷彿とさせる雰囲気のある町並みの中に建ててあるので、情緒ある風情を持っています。この辰鼓櫓も札幌時計台と同時期の1871年(明治4年)に建てられてもので、時を知らせるのに太鼓を叩く櫓でありました。

東京では、同じく明治4年9月から正午を知らせるのに、号砲を使用しておりました。当事の人々は正午の号砲を『ドン』と呼んでとても親しんでおりました。夏目漱石の『坊ちゃん』の中にも号砲(ドン)の事が出てきます。この正午の号砲は昭和4年(1929年)まで、60年という長きに渡って人々に正午の時刻を知らせ続けたそうです。それ以降は大型のサイレンにとって代わられました。

遡ること江戸時代の初期には、江戸の町民に時刻を知らせるには、朝と夕方のいわゆる明け六ツ、暮れ六ツ、の二回のみ太鼓を叩いて時を知らせていました。二代将軍秀忠の時代になると、市中に時の鐘が設置され、明け六ツ、暮れ六ツ以外にも、各時刻毎に太鼓を打ち鐘を鳴らす様になったと、言われています。

近江・彦根城にも、時打ち坊主がいて、交代で叩いていた鐘楼が今日まで現存しています。その他には埼玉県川越市に、現在でも残っている『時鳴鐘』が有名で、この鐘楼は高さ16mあり、明治の大火で消失しましたが、復元されて現在では観光名所の一つになっています。

時は金成りと言う如く、一秒一刻を争う現代人にとって昔の人の時間に対する観念はとても暢気で悠長で、今から思えば羨ましい限りかもしれません。茶道では、腕時計を外してお茶を嗜むのが礼儀とされていますが、休日の時ぐらいは腕時計を外して、時の観念の呪縛から逃れるのも、一服の清涼になるかもしれません。