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2021年06月15日

●続時計の小話・第121話(遠藤氏からの最近のアメリカ時計修理事情)

11月11日に1971年CMW同期合格の遠藤勉さんから、久しぶりに電話がかかってきて、色んな興味あるお話をして頂き、小生の方からも日本の時計業界の現況をお話しました。彼の話によると、アメリカで現在、時計修理業として飯を食っている人は4000人に満たないのではないか、と言っておられました。(2~30年前では3万~4万人ぐらいの時計職人がいたそうです。)

世界最大の時計輸入国で消費国であるアメリカでも時計職人があきらかに不足しているものとして思われ、日本でも同様の厳しい状態におかれていると思います。アメリカの在住している時計職人の人は、ドイツ、フランス、ロシアからの移住した時計職人が多いそうで、自国民アメリカ人の時計職人は、だんだん少なくなっているそうです。

遠藤さんは約10年前に体調を壊され、今では仕事をリタイアされ、悠々自適の羨ましい生活をされています。時間が自由に使える身分になられたので、趣味として大好きな時計の製作の事に現在没頭されています。

彼の話によりますと、最近、1号機と言える手のひらサイズの長方形の置時計を完全自作されたそうです。その自作された時計を作るのに延べ1500時間もの多くの時間を割かれて素晴らしい時計を製作されました。充分な工作機械の無い状況下で置時計を作られた事は苦心のあとが窺い知れます。

神経の張る細かい作業の連続でしょうから、1日5時間の作業が目一杯であろうと思われ、休み無しでも300日間というとてつもない長い時間をかけて一個の命ある置時計を作られた事に驚嘆をせざるをえません。

遠藤さんによると設計に500時間、工具作り(歯切りカッター等)に500時間かかり、各パーツを全て作るのに500時間かかったそうです。特に作業が難しかったのは、アンクルのハコ先造りと自作のヒゲ玉にヒゲゼンマイを取り付ける作業が難しかった、と言っておられました。ガンギ車を作るのは意外と易しかったので、自分自身も驚いた、と言っておられました。香箱車を作るのに、太い真鍮棒を入手するのに大変苦労したと、言っておられました。

一番車、二番、三番、四番車、ガンギ車、アンクル、テンプと、輪列脱進機が一直線になっている仕組みで、時針・分針が分かれているレギュレーター表示になっているなかなか面白いできばえの置時計に仕上がっていました。(後日、弊店HPでも紹介したいと思っております)

さすが1971年のCMWをトップ合格をし、井上賞を受賞されただけの才能を持った人である、と感心した次第です。全くの私見になりますが、将来的にはアメリカ在住とはいえ、再興した日本時計師会の幹部になって頂きたい一人だと痛感した次第です。

※余談
2年前に東京銀座の和光を訪れた時に、ショーウィンドーの中に菊野昌宏氏の腕時計が販売されていました。価格を見ると数百万円した記憶があります。

トゥールビヨンを作った浅岡肇氏や、独立時計師アカデミーの正会員の菊野昌宏氏は自分の時計工房におそらくミリングマシーン、精密小型時計旋盤、ダイアルスタンパー、ベンチレース、マイフォード旋盤、CAD、CNC等の高額工作機械を揃えておられるでしょうから、一個の腕時計を作るのにそう多くの日数はかかっていないと思いますが、それでも個人が全てのパーツを自作して、一個の腕時計を完成させるには熱い情熱と持続出来る精神力・創造力、確かな技術がなければとうていおぼつかないものと思います。よって価格が相当高くなるのはやむをえないのではないか、と思います。