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2013年01月14日

●続時計の小話・第112話(末和海先生について)

先日(2012、11/8木曜日)、思いがけない方から電話がありました。

『私は末です。』と電話の第一声でそう言われたので、私はすぐにピンと来ました。

そのお方は、日本で行なわれた1954年CMW試験の第一回合格者の末和海先生からでした。 末先生は当時、若干25才という歳でCMW合格されました。

末先生の電話のお話によると、小牧昭一郎先生の紹介で私が書いている、 本『時計の小話』を読んで非常に面白かった、というお褒めのお言葉を頂戴致しました。 末先生は今年84歳になられたそうですが、声から察するにとてもお元気そうで、大変嬉しく思いました。

先生によると老齢に鞭打って、東京の日本時計研究会や大阪のなにわ時計研究会(池宮氏主催)に講師として東奔西走して 教鞭されているそうです。 またどうしても日本の時計技術向上の為にCMW試験を復活させたいと、熱く語られておられました。 君にもその機運が盛り上がった時には是非協力して尽力して欲しいと言われ、光栄の至りでありました。

末先生は昭和4年、大阪府堺市にお生れになり、大阪府立大学精密機械科を卒業され、 恩師の石田教授が主導されていた、石田精機研究所の助手としてご活躍されました。 その後、大阪の細工谷で時計店を開業され、昭和31年リーベルマン・ウェルシュリー商会日本支社ロレックスサービスに入社、 その後は高野精密、株リコー時計、 東証2部上場のジェコーの役員にまで上り詰められた人です。

時計技術者・時計設計師としてオリエント時計の小野茂先生と共に数少ない栄華を極められた人でもあります。 日本でCMW800名が排出したのですが、恐らく5指に入る高級時計技術者だったと思われます。 CMWの誰もが末和海先生には一目も二目も置いていた先生だったと思います。

末先生は、脱進機のスジカイ試験を考案・発表したり、時計精密旋盤のアキシャル・マイクロメーターを 考案されたりした実績があります。 理論を裏打ちされた斬新な発想の設計のリコーデイデイト自動巻腕時計・リコーワイドを開発されました。 またジェコーに入られて、音叉クロック、自動車専用クオーツクロック開発にあたられました。

日本時計師会(CMW会)の会長職を角野常三先生、小林敏夫先生、飯田茂先生、と共に順送りで役職につかれ、 日本時計師会発展の為に大いなる貢献をなされました。 時計技術者育成にも大いに敏腕をふるわれ、お弟子さんに山田靖CMW(現代の名工)等、多くの有能な人材を育て上げられました。

山田靖先生からも2年前、弊店にお電話を頂き、小生の時計の小話を楽しんで読んでいるとの激励のお言葉を頂戴致しました。 多くの著名な先輩諸氏の方から激励を頂いて嬉しい限りであります。