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2013年01月15日

●続時計の小話・第113話(日本時計研究会に初参加して)

昨年の9月頃から、日本時計研究会の技術顧問・小牧昭一郎先生や名誉会員の末和海先生から
数回に渡り、日本時計研究会に是非参加して欲しい、という有り難い要望がありまして、今月10日の日に東京へ出かけて参りました。

出発する朝8時半頃は、白山市は小降りの雪模様でしたが、越後湯沢近辺に来ると1m50cm位の積雪があり、新潟県は石川県と違って未だに豪雪地帯である、と痛感した次第です。(石川県は30年ほど前は大変な豪雪地帯でしたが温暖化の影響下、現在では冬でもさほど雪が降らなくなりつつあります)

越後湯沢で上越新幹線に乗り換え、15分ほどのトンネルを抜け出ると、全く別世界の晴天の気候でした。わずか15分で表日本と裏日本の気候の格段の違いに驚くばかりで、川端康成の『雪国』の小説を思い出したりしておりました。

午後2時頃に上野に到着して、日本時計研究会の会長の桑名才次先生が経営しておられる修理工房の会社へ出向きました。桑名才次先生とは1972年のCMW認証式以来、約40年ぶりの再会になります。昨年末より、末先生による旗振り主導の下、日本時計師会CMW試験を再興するためにどのような段取りで準備し、再開に結び付けて行くかという会合が午後三時から、桑名氏の会社で集まって討議する予定でした。

3時前になると、末和海先生が到着され、続いて古典時計協会の名誉会長の加藤実先生、山田喜久男先生、木下猛先生、名古屋の高橋新造先生、滋賀県の東條氏、大阪の池宮氏、玉田氏、そして桑名先生、小生とが一同に会してCMW試験復興への手立てを探るために3時間弱、話し合いを致しました。(参加者全員がCMW時計師でした。)

CMW試験は1980年に終了して、32年間という、長いブランクがあるために再開するには、いろんな多種多様の難問がでてくるものと、想像されますが、なんとか皆が力を合わせてその難問の課題をクリアするように話合いしていこう、という一回目の会合終わりました。何とかできれば来年には実施したいという話になりました。

(昨年度から国家検定1級時計修理技能士試験の試験教材にクォーツ一辺倒からメカ式腕時計が採用された結果、合格率が10%程しかなかった事を聞かされただ驚くばかりでした。現況のメカ式腕時計修理状況がひどい状態に置かれていることが窺い知れました。やはり日本における修理技術レベルアップの為にCMW試験再登場は必要であるとの認識を強く持った次第です)

6時に終了後、近くの上野区民館に移動して日本時計研究会の1月定期総会に参加致しました。加藤理事の開会の辞があり、桑名会長の挨拶から始まり、来賓の末和海先生の挨拶、小牧昭一郎先生の挨拶と続き、小生にその順が回ってきて『時の概念・一期一会』というテーマで短いお話をさせて頂きました。その時、小牧昭一郎先生からは先生が執筆されている小論文を頂戴いたしました。小牧昭一郎先生にも約40年ぶりの懐かしい再会となりました。

(小牧先生は日本時計学界の2011年度青木賞『受賞の論文・ひげぜんまいの重心移動の理論と実際 内端カーブの効果の最適化』を受賞されるという活躍をされています。そのつど小生にはいろいろご連絡を頂いていまして有り難く思っております。)

40名ほどの会員が参加されていましたが、その中に弊店の時計修理技術講座卒業生の星野君と加藤君がいて、二人に10年ぶりに会って昔話に華を咲かせました。二人とも日本時計研究会には殆ど休まず出席して勉強しているらしく、その真面目な熱心な姿勢に嬉しく思った次第です。

2時間半ほどで日本時計研究会1月総会が終わり、近くの中華飯店・蓮菜閣で懇親会があり、おいしい中華料理に舌鼓しながら桑名先生やら小牧先生らといろんな時計に関する話をさせて頂きました。

山田喜久男先生(左)小生(中)末和海先生(右)
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小牧昭一郎先生(左)小生(中)桑名才次先生(右)
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桑名才次先生(左)加藤実先生(中)帯刀大君(右)
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明くる日は近くのホテルに泊まって墨田区東向島にあるセイコー・ミュージアムに行って参りました。そこの館長鈴木氏、及び女史が館内を丁寧に案内して頂き、恐縮至極でした。

セイコーミュージアムにて、撮影(撮影許可を得て撮影しています)。重鎮式置き時計(左)櫓置き時計(右)
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帰り道に東京スカイツリーに行ってきて、展望デッキ、展望回廊まで登ってきて東京一円の見事な風景を観て来ました。小生は田舎に住んでいますので東京の圧倒される密集した景観にただただ驚くばかりでした。

昼過ぎには、末先生から訪問するように言われていましたので、山田喜久男先生の修理工房会社を尋ね、山田先生と1時間、少しばかり話をさせて頂きました。お客さんが来店されましたので暇乞いしましたが又の再会を約束して後ろ髪を引かれる思いで帰路につきました。非常に有意義な二日間を過ごしました。