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2007年12月30日

●続時計の小話・第72話(スイス時計の日本輸入代理店の運命や如何に)

個性的な文字板・顔で人気のあるアラン・シルベスタインの日本輸入総代理店である、モントレソルマーレ社が4年前からアメリカ発祥のボール・ウォッチを初めて手がけて、日本での拡販に営業努力をされてきました。

当初は日本でのボール・ウォッチ取扱い時計店は少なく、知名度も余りありませんでしたので、今ひとつ人気がパッとしませんでした。時計雑誌や、時計専門誌に広告宣伝攻勢を積極的にかける事により、知名度も少しづつ上昇し、取扱い店も当初より倍以上も増えていき、日本の舶来時計愛好家の人達から、少しづつ支持を得てきたかと、思われていました。

弊店にもモントレソルマーレ社の営業セールスの幹部の方が、2回ほど訪れて、取扱いをしてほしい旨の訪問を受けましたが、未だその時期では無い、と判断してボール・ウォッチの取扱いを見合わせておりました。何時の日にか、弊店でもボール・ウォッチを取扱いをしてもいいのでないか?と思っておりました所、今年いっぱいで、ボール・ウォッチの日本輸入代理店である、モントレソルマーレ社がボール・ウォッチの取扱いを中止せざるをえない状況に追いやられたそうです。

理由は、ボール・ウォッチ本社が、モントレソルマーレ社の日本での営業実績に満足せず、来年度の契約更新に到らなかった、という事です。来年度からは、ボール・ウォッチ・ジャパン(株)が設立され、直営方式に方向転換されるそうです。

4年間のモントレソルマーレ社の、やっと育て上げた営業努力は、全く無に帰し、水泡になってしまいました。

それにしても外国人のビジネスは、とてもシビアだと思わざるをえません。そう言えば、パテック・フィリップも日本輸入代理店であった、一新時計(株)から手を放れ、パテック・フィリップ・ジャパン(株)の直営に移行しました。

今では有名になりましたがパテック・フィリップを日本で広めるためにどれ程、一新時計(株)が努力をされたか長年の苦労が偲ばれて気の毒に思われます。ジャガールクルトは、日本デスコ(株)から、リシュモン・ジャパン(株)に移行してしまいましたし、過去に於いてはロレックスは、リーベルマン社から直営の日本ロレックス社に移行したりしました。

『卸商・無用論』なるものが蔓延り、セイコーや、シチズンの数多くの卸商は、世の中から淘汰され自然消滅していきました。セイコーや、シチズン、リズム、オリエント等全てメーカー直営方式に移行しました。

スイス腕時計の、日本の輸入総代理店も近い将来は、恐らくスイス本社は、総代理店方式を見直し、直営方式のジャパン子会社を設立していくものと思われます。3~40年前、ラドーの日本総輸入代理店であった酒田時計貿易社は当時は飛ぶ鳥を落とす勢いがあったにも関わらず、ラドーの日本販売権利を失い、スウォッチグループジャパンに移行したが為に、倒産の憂き目にあいました。

日本にある、30社以上にのぼる、舶来時計の日本輸入代理店の社長は、取扱いのスイス時計の契約をいつ打ち切られてしまうのではないか?という不安に怯え、戦々恐々としているのではないか?と思われて仕方ありません。

そう言えば、弊店と懇意にしている、ある日本輸入代理店の社長も、取扱いスイス腕時計ブランドを増やして日本での販売の柱に多くを育てて行かなければ、今まで安穏として供給されていた人気のあるブランドがいつ契約を断ち切られてしまうのではないか?という、漠とした、不安感を持っているという話しを聞いた覚えがあります。

現在、よく売れていれば売れているほど、また売れなかったら売れなかったにせよ、どちらに転んでも契約更新が断絶されてしまうのではないか?という、懸念を日本輸入代理店の社長はいつも抱きながら、
会社経営をしているものと思われ、なかなか苦しい立場にいつもいるのではないか、と思い、同情の念を禁じえません。