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2007年09月15日

●続時計の小話・第66話(日本人好みの裏スケルトン)

弊店の一番人気の舶来機械式腕時計は、エポスとノモス社、ハミルトン、オリスの腕時計です。
中でも、よく売れているのが、裏蓋がスケルトンのタイプです。

時計好きな日本人は、未知への旺盛な探求心の為か、機械の中がどのような仕組みであるのか?知りたくて裏スケタイプを購入されるのではないかと思われます。(もしくは機械の美しさに魅了されていると言った方が適切かも知れませんが)

この日本人の裏スケを好む傾向は、今に始まったのではなく、明治時代に輸入された『商館時計』の懐中時計は、内蓋がガラス式で、中の機械が見える、という工夫がなされていました。横浜や、神戸にあったシイベル商会(昭和40年代のオメガの日本総代理店シイベル時計の前身、現在はシイベルヘグナー社)、ファーブル商会等の輸入商会は、日本人の性質、嗜好傾向を十分研究しつくして、日本人向けには、裏スケタイプの懐中時計を製作し輸入して販売したものでした。

江戸から、明治にかけて、東洋には清という大きな国が存在しましたが、中国の清の皇帝向けには、自鳴鐘等のからくり時計を輸出しましたが、日本人向けの様な裏スケタイプの懐中時計を輸出した数は少なかったに違いありません。

日本人が、明治時代から裏スケタイプを好む原因は、日本人の特殊な民族性によるものと私は思っています。元来、日本人は、手先が器用で几帳面で繊細で、緻密な美術工芸品を造り続けてきましたし、その美しい工芸品を日常的に使い、生活に溶け込ませてきました。

その生活的習慣によって見知らぬ懐中時計の構造まで知り尽くしたいという欲求があったとしても不思議ではありません。

先月、石川県立美術館で『浮世絵名品展』が開催され観てきましたが、鳥居清峰の江都堺町大芝居狂言之図(遠近法を取り入れた細部まで手抜きのない構図)や、歌川広重の両国月之景の細やかな繊細なタッチの図法に驚嘆してきました。

美術館の係員に尋ねましたら一枚、数千万円の値打ちがあるそうで余計の驚きました。その当時から、日本人の浮世絵師の秀でた才能の卓抜さに、驚かざるを得ません。天才的画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホも浮世絵を参考にして絵を描いているのも事実です。

幕末に日本に来た、タウンゼント・ハリスや、M・C・ペリー、C・P・ツュンベリー、オールコックは、日本人の職人技術の優秀性を認め、日本の漆器、蒔絵、絹織物、陶器、冶金、金属の彫刻技術、木材・竹材加工等に欧米の最高傑作品にも勝るとも劣らないのと絶賛しています。また日本人は喜望峰以東のいかなる民族よりも優秀であると断言しています。

そういう将来を見据える事が出来る江戸末期から明治時代の日本人が教育や、鉄道、軍事に必要となる時計製造に手を染めるのは時間の問題だったと言えるでしょう。

セイコーの創業者の服部金太郎翁が、輸入された商館懐中時計を見て、日本人でも技術の研鑽を積み上げれば、この程度の物は日本でも十分造り上げる事が出来る、と確信して、精工舎を立ち上げたに違い無いでしょう。

以前に日本製品は、猿真似だと欧米諸国から揶揄されましたが、模倣品を正確に造り上げていく段階で見本の本物以上の完全な物を作ってしまうという、頭脳明晰で潔癖な民族性によると思っております。

大げさに言えば、明治時代の日本人が舶来の懐中時計の裏スケタイプが好きであったからこそ、今日、日本の時計メーカーが誕生し大躍進が遂げた原因の一つと確信しています。