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2007年09月10日

●続時計の小話・第65話(オーデマ・ピゲ社の日本人・青年時計師)

先日、衛星放送を見ていましたら、スイス・ジュウ渓谷で、1875年創業の名門時計会社、スイスのオーデマ・ピゲ社で、複雑時計を開発設計している日本人の青年時計師、T・H君(30才)が紹介されていました。
(オーデマ・ピゲの超複雑腕時計グラン・コンプリカシオンは部品総数が648個有り、一流の時計師が1年に2個しか組み立てられないという腕時計でパティック・フィリップ社と並び表されるスイス名門時計会社であります。その名門時計会社に就職した彼の才能は凄いという一言です。)

時計師として、ズバ抜けた才能を開花させたH君は、潜在的な時計師としての資質が十分にあったものと思われますが、それ以上に彼の日々の努力が今日の彼の地位を築き上げたに他なりません。

彼は高校時代に時計雑誌に啓蒙され、高校卒業後、スイス・ニューシャテルのフランス語専門学校に2年間通い、フランス語をマスターするや、ヴァレ・ド・ジュウ時計学校(1901年創立の名門時計学校)に3年間学び、そこを優秀な成績で卒業するや、ル・ロックルの時計専門学校で、レストア(修復)コースを卒業し、オーデマ・ピゲ社に就職された経歴の人です。

オーデマ社の複雑腕時計の開発の段取りは、CADで設計し、プラスチックのプロトタイプを作製して、作動等を確認し、次に更に三次元のCADで設計仕直して、再度プロトタイプを作って作動等を再確認して、
生産に漕ぎ着けます。

彼は複雑時計の時計設計師として、スイス時計業界に名を轟かせているジウリオ・パビ氏の元で研鑽を積み、今では複雑時計設計のグループのリーダーとして、活躍されています。

今後、彼の様に夢と希望を持った、日本の青年達が単身スイスに渡り、スイス・ニューシャテルのWOSTEP時計学校(1966年創立)で学び、時計師として身を立てていく青年達が、多く現れると思いますが、H君の様に不屈の精神を持っていろんな困難に立ち向かっていけば、必ずや道は自ずと開けていく、と思います。

夢を持って頑張って欲しいと思います。

小生が1971年度のCMW試験に合格した時、同じ名字の青年のH君がおられ、今オーデマ・ピゲ社で活躍しているH君は、なんらかの彼と縁のある人ではないか?と想像したりしています。そうでないと、18才の青年が、全く未知の国のスイスへ単身留学に行くという、勇気は沸いてこないのではないか?と思ったりしています。