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2007年03月11日

●続時計の小話・第54話(ウォルサムについて)

エポスの懐中時計は、搭載しているムーブメント(Cal.ユニタス6497)が、非常に安定した精度を出す機械で、地板仕上げもとても美しくされているために、人気があり、いつも品薄の状態が続いています。

腕時計が主流になった今日、何故懐中時計が売れていくのか不思議な気がしておりますが、購入された人はおそらく見ているだけでも満足感を味わっているのではないでしょうか。

今から100年ほど前は、身につける時計と言えば懐中時計で、それもとても高価格であった為に、所有出来る人は極一部の人に限られていました。明治、大正、昭和初期にあらゆるジャンルで功績のあった人に、天皇陛下より下賜された菊の紋章の付いた時計と言えば、懐中時計で、ウォルサム懐中時計や精工舎の懐中時計『エキセレント』でした。

(ノーベル文学賞に何度も候補が挙がった日本を代表する文学者・三島由紀夫氏も東京大学・法学部を主席で卒業された為に天皇陛下より懐中時計を下賜されています。)

精工舎の懐中時計『エキセレント』は、米国のウォルサムの懐中時計を参考にして製作されたものと、巷間言われています。ウォルサム社はアーロン・L・デニスンが創業した会社で、マサチューセッツ州の工業都市ウォルサム市に設置された為に、この名前が命名されました。

デニスンは、1812年に靴屋の息子としてこの世に生を受けましたが、生まれた時から機械いじりが好きで、時計店を渡り歩いて、時計技術の修得に日夜努力したそうです。近くにスプリングフィールド銃器工場があり、その大量生産されてゆく様子を眺めるうちに、懐中時計をいかにしたら合理的に大量生産出来るか?常に考えていました。

1849年にデニスンは、E・ハワードという優秀な共同経営者を得て、1853年に第一号のウォルサム懐中時計の発売にこぎつけました。(札幌時計台の時計は高級時計製造会社E・ハワード社製でした。スイス・シャフハウゼンに時計工場を建てたIWCの創業者、アリオスト・フロレンタイン・ジョーンズはE・ハワード社で腕を磨き上げたアメリカ人時計技術者でした。)

当時のウォルサム懐中時計は販売価格、40ドルもしたそうで、あまりにも高価格な為、誰が買うのか?不思議がられるほどの値段でありました。(家が一軒買えるほどの値段であったと言われています)

しかし、ウォルサム時計工場は、軍需用として、懐中時計が必需品となった為に爆発的に売れ出し、1904年には、社員が3,600人に膨れ上がり、週に15,000個の懐中時計が生産されているほど、当時としては世界最大級の時計会社へ大変身を遂げた訳です。

そんな歴史のある実力・人気共にあったウォルサム社でしたが、第二次世界大戦後、スイス時計の攻勢にあい、あえなく米国から消滅してしまった事は残念であります。アメリカ生誕のベンラス社、グルーエン社、エルジン社も現在では既に無くなってしまいましたが、現在残っているハミルトン社やウォルサム社はスイス資本の時計会社として生き延びているのが事実であります。

ハミルトン社は現在スイス(スウォッチ・グループの一員)で活躍しており、リーズナブルで魅惑的な機械式腕時計を矢継ぎ早に出して、今なを人気があります。一方のウォルサム社は高価格路線の商品を出していますが、過去の名声と比較して一抹の寂しさを感じます。