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2007年02月24日

●続時計の小話・第53話(札幌時計台)

先日、BS放送を見ていましたら、札幌時計台の時計の事が詳しく放送されていました。

札幌時計台は札幌農学校演武場(現・北海道大学)に、明治11年(1878年)10月に建設されました。札幌時計台の機械は時打重錘振子四面時計「米国・ハワード時計会社製」で、現在まで130年近く正確に時を刻み続けている事に驚きを隠せません。さすがメカ式の耐久性は流石ですね。それまでの日本の時計台の機械が英国製・スイス製が殆どでしたが米国製は珍しい事でした。

映像からは、脱進機(ガンギ車・アンクル)の動きの様子が撮影されていましたが、退却型脱進機ではなく、直進型脱進機(グレアム静止型)と身受けられます。ガンギ車の歯数は38枚有り、2分で一回転する様に設計されています。当時では日本に時計会社は存在しない状態で、明治初期では米国は時計先進国であった事が伺い知れます。

小生も35年以上前の修理見習い時には、戦前の精工舎の1週間巻きのボンボン掛け時計をよく修理をしたものです。退却型脱進機を採用しているために、精度はあまり芳しくなく、ゼンマイが緩んでくるに従って、歩度が遅れたりする兆候がありました。(1日にマイナス1~2分の誤差は当たり前でした)

ガンギ歯の先端も摩耗していたり、アンクル爪にガンギ歯の跡が削られてしまい、よくそこを研磨して修理調整をした覚えがあります。

札幌時計台の時計が130年以上も、正常に動いている事は驚異的な事ですが、余程ハワード社の金属素材の強度が優秀であったものと思います。(重要な歯車等は一切交換等をしていないそうで余計に驚きです)

でも如何に機械の地金や歯車の材質が優秀であったとしても、定期的にメンテナンスをされていればこそ、今日まで寿命が持ったものと思います。

札幌時計台の保守点検管理には、地元の時計店の井上清さん、息子の和雄さん親子が70年に渡り継続して面倒を見てこられたそうですが、三日に一回ハンドルを用いて、重鎮「重量は運針用が約50kg、打鐘用が約150」を巻き上げるという継続的な作業をしてこられた事に対して、頭が下がる想いがします。映像には、井上和雄さんがアンクル爪の衝撃面に注油されている様子が映されていました。

親子二代に渡って、70年間メンテナンスをする、という事は本当に目立たない地味な作業ですが、偉大な業績だと私は思っています。現在では若い見習の時計師が跡を継がれるそうで喜ばしい限りです。

柱時計の修理の要諦はアンクル足を曲げて片振り調整をしっかりやる事です。

またアンクル足の先端のワッカの中に入る振り竿との隙間を出来るだけ少なくして接触部分に少量の輪列油を注油する事です。そうするだけで調子がよくなり、かなり等時性も良い方に是正されます。(腕時計のヒゲ受け・ヒゲ棒・ヒゲゼンマイの少ない隙間調整に似ています。)

札幌時計台の機械のハワード時計会社は、アメリカでは当時から有名な会社で次回にその話しをしたいと思います。

-執筆後記-

先日、日本時計研究会の重鎮、喜連川 純先生から『二級時計技能士訓練課程、時計修理課 ・教科書編、・指導書編』のCD-ROMを役に立てて下さいと突然弊店に送られてきました。

今後、時計通信講座を再開する時にこの貴重な資料・教材を使用させて頂くつもりです。電話にてお話しして先生の若くて艶のある声に嬉しく思いました。

この場を借りて、喜連川 純先生に御礼を申し上げます。