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2007年01月21日

●第91話(日本時計師会について)

大阪市に本部があった日本時計師会についてお話しいたします。

CMW合格者が集まって作った時計技術者団体・日本時計師会は、大阪を中心にして大きく発展いたしました。時計技術に関してはハッキリ言って西高東低でした。
時計メーカーも一目置く存在でした。支部は北海道から沖縄まで日本各地19都道府県にありました。最初は米国時計学会日本支部と言い、それが発展し日本調時師協会となり、S43年に日本時計師会に改名されました。

最高顧問には大阪大学名誉教授・篠田軍治先生(井上靖原作の小説の題材になったりした高名な先生・CMW試験学科一位には篠田賞)、名誉会員には山口隆二先生(一橋大学名誉教授)、井上信夫先生(日本最高の時計修理技術者・CMW試験トップ合格者には井上賞)、会長には飯田茂先生(飯田時計精機社長)、副会長には末和海先生・小林敏夫先生(大阪府立生野工業高校校長)、理事に岩崎吉博・飯田弘・北山次郎・小野茂・下土居隆三・岡本清治・上野益男各諸先生、幹事には加藤日出男先生・多田稔・小原精三・杉田昌幸各諸先生、監事には嶋繁樹・宮脇俊一先生、支部長には石川力・関周三・今井広義各諸先生等々、と言う、当時の日本を代表するそうそうたる技術者が集っておられました(まだまだ現役で今でも仕事をしておられます先生は一杯おられます)。

機関誌「グノモン」「調時」を発刊して日本の時計技術のレベルアップに多大な貢献を果たしました。

主な活動の目的は、日本各地に出向いて時計技術の研究会・講習会・メーカー見学会等の実施、CMW公認高級時計師試験の実施、日本の時計店の技術のかさ上げのための地道な諸活動、時計技術業界に功績があった人への顕彰などが主な活動でした。

CMWを受験するためには、日本時計師会支部長と、もう一名のCMW取得者から技量を認められて推薦を受けなければ、受験さえ出来ませんでした。非常に権威のある超難関の試験でした。4月に大阪市内で行われたCMW合格認証式には、そういった著名な諸先生が日本各地から来賓としてこられ、大変緊張したものでした。

一方、東京には石川力・関周三先生を中心にして関東時計研究会があり、毎月一回講師を呼んで勉強会を開いておられました。

村木時計(現(株)ムラキ)が菅波錦平先生(米国時計学会ヘイガンス賞受賞)・江波一郎・石塚要先生を中心に時計通信教育及び月刊誌「時計技術」を発行しておりました。時計学校は大阪府立生野工業高校時計計器科、滋賀県に近江時計学校(現在も存続中)、名古屋に春芳時計学校がありました。