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2007年01月21日

●第69話(時計の形而上学的な思考)

人それぞれの人生は約25億秒のカウントダウンによって生から死へと終わります。
その間には幾多もの多種多様の泣き笑い喜び悲しみの繰り返しの連続でしょう。

人は約25億秒間の長いようで短い旅に出かける孤独な旅人でもあるとともに、不安な道のりに葛藤しながら旅立つのではないでしょうか。その人生という旅に、良き伴侶や友人、仕事、健康に恵まれたらどんなに楽しい旅になるか。それをつくづく感じるからこそ、人間は生ある限り、それを永遠に追い求めるのでしょう。約25億秒間という旅の間に巡り会う、ごく限られた人を、一緒に時を過ごす旅仲間と思えば、いろんな摩擦・障害も少なくなるのではないでしょうか。

家庭を顧みないで名誉・地位・お金にのめり込む人もいれば、仕事・趣味・スポーツに人生の限られた時間をかける人もおられると思います。どれが最良の選択かは、各人各人の価値観や人生観によって異なるものと思います。病に倒れて人の思いやりや温かい心配りに身にしみる方もおられるでしょうし、健康が故にその有り難みが解らない人もおられるでしょう。イギリスの文豪シェークスピアは、人生を喩えて舞台の滑稽な喜劇俳優そのもので、いろんな役割のある喜劇役者であると名言しました。人生における大切な瞬間瞬間を刻み続けて、その時を知らせる役目を持ったのが時計 かもしれません。

あの時はこんな嬉しい事があったとか、あの時はこんな素晴らしい人に出逢ったとか、人生のいろんな大切な時刻を正確に記憶してくれるのが時計でしょう。いろんな人生の出来事をしっかり思い出させてくれるのも時計があればこそでしょう(悲しい時を刻む時計であってはほしくないですね)。その貴重な時を刻み続ける時計を販売したり修理したりする時計屋は、ある一面で恵まれた誇りある仕事と言えるではないかと私は自負しております。

1秒1秒、死というゴールに向かって歩み続けている事を認識できる唯一の形而上学的な生物である人間にとって、まさしく時は金なりと言えるでしょう。そういう運命的な人であるからこそ、時々止まったり、時間が狂ったりする機械時計に郷愁を覚えたり共感したりするのではないでしょうか。毎日1秒も誤差がでないクォーツ腕時計なんて、なんだか肩肘張っているようで疲れますものね。時折脱線するメカ式腕時計の方が、人間のようで愛らしくて可愛いじゃありませんか。

著名な哲学者・カントは正確な時計のように毎日のスケジュールをこなしていたとか。カントの散歩時間は何時何分だと近隣の人々はよく知っていたようです。毎日毎日、几帳面な正確な生活なんて疲れて味気ないと思うのは私一人でしょうか。