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2007年01月21日

●第60話(時計修理技術の伝承について)

輸入時計商社のサービスセンターでは時計修理技術者の高齢化が顕著になり、問題化しつつあります。40代後半~60代の年齢の人がおそらく過半数を占めていると思われます。

機械時計が市場に復調してきた今、将来的にかなりのメカ時計の修理がくるものと思われます。しかし、もはや時計店で修理対応はほとんど出来ないだろうと予測した輸入時計商社の経営者達が、サービス部門に対して漠とした不安と危惧を覚え、何とか若い時計修理技術者を養成しなくてはならないと気がつきだしたのです。

そこで、輸入時計商社の経営者の有志が集まり、ジュエリーの専門学校であったヒコみずの学校に相談し、協力・賛助金何百万円を提供して、数年前にウォッチ・メーカークラスができたのです。ヒコみずのウォッチ・メーカークラス卒業者の若い人が輸入時計商社のサービスセンターに就職されていることをよく聞きます。その限りにおいて、輸入時計商社の経営者の思惑は当たったと言っていいかもしれません。その一方、滋賀県の近江時計学校では時計宝石店の子弟が多く、卒業後家業を継ぐために郷土に帰って行くみたいです。

20代の情熱溢れる若人がこの業界に魅力を感じ入ってこられる事は非常に嬉しいですが、彼らの期待を裏切ることなく受け皿をしっかりしたものにすることは大切だと感じます。

メーカーのサービスセンターでもおそらく修理技術者が不足していると思われます。
その極端な例として、保証期間中の腕時計の修理依頼が来ると、ほとんどの場合、修理箇所を直さないでムーブメントをゴッソリそのまま交換してしまうという荒療法をして戻ってくる場合が多々あるのです。時計店でも、もはや自前で修理する店はほとんど無くなり、メーカーに修理依頼出来ない時は私設のウォッチ・サービスセンターへ送って直してもらうケースが多いと思います。

私がこの業界に入った30年ほど前の頃は、仲間修理という家業の人が人口5万人の長浜という都市にも3軒ほどありました。その人達は自前の時計店を資金的な面で出店できず、他の時計店の修理(下請け)をする事で生計を立てている人達でした。今では大都会には一部残っておられるでしょうが、中小都市ではほとんどいなくなってしまったものと思います。客渡し料金の半分位で請け負っておられたみたいです(現在の比率は解りませんが)。

ただ店がないために腕が良くても辛い立場におられました。修理依頼した時計店は何もしなくても半分の修理料金をピンハネしていたことになります。私が少年の頃、難物の腕時計を預かった父がどうしても自分で出来ない時は、その頃長浜で一番腕の立つMA・・さん(一級時計技能士で知事賞受賞・CMW試験を受けられたら必ず合格したに違いない方でした)の所へ持って行くお使いを私はよくやらされました。
その方は真面目で無口で本当に職人の鏡のような人でした。小さいながらも私はMさんの仕事を見るのが好きで、邪魔をしないでよく側にいたものです。私とは年齢差がありましたが、相性が合ったのか良く可愛がってもらいました。そんな事が昨日の事のように懐かしく思い出されます。そのMさんもクォーツ・クラッシュの影響で修理が少なくなり「仲間修理家業」をやめ、他業種のサラリーマンになられたことを弟から聞きました。時計が好きで腕(技術)が一流であったMさんにとって断腸の思いだったに違いないでしょう。

せっかくこの業界に入ってこられた若い時計技術者をこのような目に二度と遭わせてはならないと思います。