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2007年01月21日

●第56話(グランドセイコー(機械式)の生産動向について)

当店にはグランドセイコー腕時計(メカ式・SBGR001定価35万円)の受註残が5本あります。セイコーウォッチ販売に注文を出しても、入荷は6ヶ月待ちというものです。担当員に尋ねても、いまの段階では注文をお受けしないと言うのです。おそらく生産体制が整っていない為と思われますが、一番の原因は技術者が不足しているからだと思います。

クォーツは全自動ロボットの流れ作業でいともたやすく大量生産できますが、高精度の機械式腕時計は熟練の技術者が必ず必要なのです。ここ数年業績の悪いセイコー舎にとって、高額商品の注文が来て納品できないのは大変痛いと思いますが、1982年~1992年の10年間、機械式腕時計を製造してこなかったツケがいっぺんにきたものと思われます。裏を返せば、腕の良い時計技術者を充分に養成してこなかった事が今の事態を招いているものでしょうし、その頃の経営者の先の読みが甘かったと批判されても致し方ないと思います。腕の良い技術者は一朝一夕には育たないのです。

1967~68年にかけてのスイス天文台コンクールにおいて、セイコー舎の活躍は目を見張るものがありました。スイス有名時計メーカー(オメガ・ゼニス・ロンジン)との精度競争にほぼ打ち勝ったセイコー舎に、その頃奢りがなかったと言えばウソになるでしょう(スイス時計メーカーから、もはや学ぶべき所はないと言うような)。危機感を持ったスイス時計連合は、CEH開発の水晶時計を開発してセイコーの機械腕時計と精度競争させるほど追い込まれていたのです。精度の面でスイス時計に勝利したと思ったセイコー舎は、それ以降水晶時計一辺倒になり、徐々に機械時計から離れていったのです。

現在のセイコー舎が、機械式に関してはスイス時計メーカーに大きく水をあけられてしまったのは、機械式においては精度のみが大切と錯覚した当時の経営者・技術者の失敗でしょう。セイコー舎にとってまだまだ機械式に対して開発研究する課題は沢山あったのです。トゥールビヨン・ミニッツリピター・永久カレンダー・スプリットセコンドクロノメーター等を開発発売すべきだったのです(それぐらいの技術の蓄積は当時あったと思います。セイコー舎の生産能力からいってかなり安い価格の複雑腕時計が出来たに違いないのです)。そうしたら、名実ともにセイコー舎は世界のトップメーカーに今頃君臨していたでしょう。日本人としてとても残念です。

一方その後、セイコークォーツクラッシュに打ちのめされたスイス有名時計メーカーでしたが、その後もじっと我慢して、たゆまず機械式時計の火を消すことなく研究開発に没頭して、今のスイス機械式腕時計を見事に開花させたのです。日はまた昇るを信じてクォーツに負けることなく、機械式腕時計を今日まで存続させたスイス時計メーカーには頭が下がる思いです。

日本を代表する一流企業の不祥事が多発する現在、ある一面でセイコー舎の良心的な企業姿勢にはとても好感がもてます。儲け話が目の前にぶら下がっているにもかかわらず、とことん納得出来ない、中途半端な商品(グランドセイコー)は出荷しないというセイコー舎の考えには他社もマネをしてもらいたいものです(私はだからセイコー舎の真面目な姿勢・セイコー腕時計が好きなのです)。

セイコー舎にとって1960年の発売以来、グランドセイコーはセイコー舎の歴史と誇りと名誉を感じる腕時計なので、中途半端なGSは出荷しないのでしょう。出来るだけ早く腕の良い技術者を焦ることなく養成して市場の要求に応えて欲しいものです。セイコー頑張れ!