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2007年01月21日

●第40話(ブローバ音叉腕時計・アキュトロンについて)

1960年代初頭にブローバ社が音叉腕時計・アキュトロンを発売した時は、世界中を震撼させるほどの革新的な出来事でした。安定した日差2秒という高精度で1年間電池で動く腕時計に、業界の人々は目をみはったものでした(1秒間に360振動で機械式の70倍です)。はるかに優秀級クロノメーターの精度を凌ぐものでした。当時の価格はSSケースで88000円以上する、とても高価なものでした。なかなか、そう簡単には購入できる腕時計ではありませんでした。脱進機に相当するインデックス車(直径2mm)の円周上に300枚の歯が切られているという超々精密加工で、もはやキズミで見る段階ではなくミクロに近い世界でした。

素晴らしい技術の特許のため他のメーカーは音叉時計を作れず、8年間もの長きにわたり音叉時計はブローバ社の独壇場でした。それから10年後の1971年に婦人用の音叉腕時計が発売されましたが、いかに小型化・軽量化・薄型化が難しいか読者の方には理解できると思います。婦人用の音叉腕時計のインデックス車(直径1,7mm)には240の歯が切られていました。歯の深さは0,01mmという途方もない代物でした。

ブローバ社と特許利用協定を結んだスイス・エボーシュ社はスイスに大工場を建て、エテルナ、ユニバーサル等が音叉腕時計を発売しました。しかし音叉時計にのめり込んだ為、スイス時計メーカーが水晶腕時計の開発に立ち後れたものと私は推量しております。そんな画期的なブローバ音叉腕時計・アキュトロンでさえ水晶腕時計の出現により市場から消え去る運命だったのです。

現在のブローバ社は業界を賑わすこともなく、何となく寂しい気がいたします。また40年前のように、人々をビックリさせる様な腕時計を開発し、発売して欲しいと熱望いたします。それが出来る技術の蓄積がブローバ社にはあると私は確信しております。

余談ですが日本時計師会(CMW)前会長、飯田茂先生は、ブローバ社より先だって音叉の安定した振動に注目して高精度音叉腕時計の試作品を製作することに没頭され遂に完成されましたが、あまりに腕時計として大きかった為に商品化には結ばなかったということがありました。飯田茂先生の腕時計に対する熱意・先見性・創造性には、今あらためて驚嘆する次第です。