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2007年01月22日

●続時計の小話・第10話(ブローバ時計学校)

私が時計技術を身につけようと思いついた時、それこそ繰り返し何度も 読みあさった本があります。 それは末和海先生が翻訳された『標準時計技術読本』という専門書です。

この時計技術叢書の原典は、アメリカのブローバ時計学校の教科書でありました。 時計修理技能士試験や、CMW試験を受験する時に隅から隅まで何回も読み、 自己の技能・理論の研鑽を積み上げる土台になった有り難い教科書でありました。

アメリカにも過去に於いて1945年、ニューヨークにブローバ時計学校が 設立されました。 正式の学校名は、『ジョセフ・ブローバ・スクール・オブ・ウォッチメイキング』であり、ブローバー時計会社の初代創立者の名前『ジョセフ・ブローバ』が つけられた訳です。

ジョセフ・ブローバ氏が、何故時計学校を設立したか?と言えば、第二次世界大戦終了後、未来ある若人が傷痍退役軍人となり、身体障害者となって生きる術を一時的に見失い、人生に対して落胆している姿を見るに及び、なんとか社会復帰させるべく思案して、手に技術をつけさせたら良いのでは ないかと思い、私設の時計学校を設立された訳です。

ブローバ時計学校の修業期間は2年間で、全寮制(食事付き)であり、 驚くべく事実は、授業費用等が全て無料であった、という事でした。ブローバ時計学校の運営費用は、全てブローバ時計会社による利益還元により、 全て賄われていたのでした。そういう事実があった事に、60年前のアメリカの経営者の人間性豊かな資質に、 賛嘆せざるをえません。

今から40年ほど前、ブローバ音叉腕時計の日本総代理店であった、 『一新時計』の社長西村隆之氏は、このブローバ社の社会事業にいたく感銘を 覚え、日本からも、身障者2名を米国ブローバ時計学校に留学させる事を 思いつき、それを実行されたのでした。

このブローバ時計会社はその後、世界中に門戸を開き、1000人以上の優秀な 時計技術者を卒業させたのです。 日本の時計会社、輸入時計商社の経営者もこの事実をしっかり把握して、 今後の時計技術者育成の為になんらかの努力をしていただければと 願っております。