« 第32話(シチズンの機械式腕時計について) | | 第34話(脱進機について) »
« 第32話(シチズンの機械式腕時計について) | | 第34話(脱進機について) »
2007年01月21日

●第33話(スイス・オメガについて)

日本人にとってオメガは、スイスに数あるメーカーの中でおそらく人気が5本の指に入ると思います。腕時計はオメガ、筆記具はカランダッシュ、ライターはデュポンというのが昔の男の夢でした。手取り月給が5万円くらいの時代に、どれも10万円前後する高価な品なので、せっせと働いて手にした喜びは無上のものでした。オメガを腕にして自慢する男達が、かつては沢山いたものです。ゼニスは欧州で、ロンジンは米国で知名度・人気があり、オメガは世界的に名声を博していました。

天文台コンクールの御三家と言えば、オメガ、ロンジン、ゼニスで、この3大メーカーが高成績を独占しておりました。オメガの創業は約150年前で、ルイブランが会社を興して時計の生産を始めました。

オメガと言えばスイス時計の高精度のシンボル的な存在で、そのことを裏付ける業績の一つに、1932年のロサンゼルスオリンピックから延べ20回以上のオリンピック公式計時を担当していた事があります。また、ジュネーブ・ニューシャテルのスイス天文台コンクール、イギリスのキュー天文台コンクールにおいては常に上位の成績にランクする結果を残してきました。そして1960年代の10年間、スイス公式クロノメーター検査協会が行う機械式腕時計クロノメーターの認定には、オメガ社はいつも過半数近いクロノメータを輩出して、その数は年間10万個数を上回っていました。

そのオメガ社には忘れてならない人がいます。ジョセフ・オリー氏です。彼はオメガ社のトップの時計技術調整士で、天文台コンクールに見事な成績をおさめた人です。

オメガ社の腕時計と言えば、トップにコンステレーション、スピードマスター、デビル、シーマスターが有名です。オメガのムーブメントは自動巻でも薄型で、ユーザーにも見えない所の地板にも金色のメッキがほどこされるほどの念の入れようで、錆に対する耐久性等を考慮した仕上げがなされており、いともたやすく高精度の出る調速機が搭載されていました。

しかし30年前にセイコークォーツが世界を席巻した時に、スイスの各時計メーカーは大打撃を受け、グループの統合・吸収に激しく動き、オメガ社はSSIHグループのリーダー的存在でしたが、SMHグループの傘下に入ったのです。

私が若かった頃、オメガの腕時計のオーバーホールをした時は、あまりの美しさに感動したものですが、最近のスピードマスター自動巻のムーブメントを見ても、あまり感動しません。2、30年前のオメガの機械の精巧さ・美しさは、セイコー舎よりも優れていたかなと私は思います。特にキャリバー269、505は歴史に残る名機でしょう。オメガ社には以前のように、どのオメガ腕時計でも時計師がケースを開けて感動するような美しいムーブメントを作って欲しいと願望します。