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2007年01月22日

●続時計の小話・第4話(全時連について)

全国の多数の時計店が加盟している『全日本時計宝飾眼鏡商業協同組合連合会 (略して全時連)』が、ここ数年に渡り、衰微の跡を辿っています。

資料によりますと、昭和51年に19,999店が加盟していましたが、 昨年度では、僅か4,940店まで落ち込んだそうです。 この数字は、資本力のある多店舗化している大店との競争に敗れた、 中小の零細時計店の苦戦を表しています。 中小の時計店では、経営者の高齢化に伴い、跡を継ぐ若い人がこの魅力のない 業界に見切りをつけ、参入していないものと思われます。

日本各地の町々から、小さな時計店が廃業・閉店に追い込まれていく様子が 容易く想像出来ます。 40年程前、どの時計店でも活気が溢れていた頃、全時連は、 団結力やメーカーに対して発言力があり、それ相応の役割を果たしてきました。 乱売をする時計量販店等にも圧力をかけ、 メーカー、卸商にたいして、ある程度の影響力、拘束力を持っていました。 (一番の貢献大なものに、時計技術の啓蒙を行い 一、二級時計修理技能士試験を全国都道府県にて開催したことでしょうか)

長浜市で父と一緒に仕事をしていた35年前頃、長浜市の時計組合 (当時は、20店舗くらいありました)の、組合員(時計店店主)は、 お互いが商売敵にも拘わらず、仲がそれなりに良く、 毎月一回の例会を料亭で開いていました。 酒を全く嗜まなかった父でしたが、毎月喜んで、出掛けておりました。 夜の11時頃、料亭の豪華なご馳走を、ほとんど箸をつけずに折詰めに入れて、 父は帰宅して家に持ち帰ってきていました。

子供5人がいつもその時は、夜遅くまで父の帰宅を待っていて、 持って帰ってくるであろう、ご馳走を楽しく待っているのが、常でした。 (厳しくてこわい反面、子煩悩な父親でもありました) あまり波風が立たない長浜市の時計組合でしたが、彦根市に忽然と安売りする X店がこの業界に新規参入してきて、長浜市の各時計店が、 大慌てした事が昨日の事の様にハッキリ憶えております。

当時の長浜市の一番店は、セイコー、シチズンを定価販売して、 パイロットやセーラー、プラチナの万年筆をサービスするという事を していました。 他の時計店では、セイコー、シチズンを10~20%引きをして、 何らかのサービス品をつけてお客様に販売していました。 彦根市のX店が、いきなり、セイコー、シチズンを全品30%オフに したものでしたから、長浜市の時計店は、大騒動になり対策を練る為、 緊急の会合を何回も開いていました。 (長浜市を含む湖北地方の人々までが彦根のX店まで足を延ばしたほど 影響がありました)

父は当時、長浜時計組合の副組合長をしていた為に、東西奔走して、 乱売を止めさせるべく、かけずり回っていましたが、 結局、数量を販売する力があるX時計店には敵わず、メーカー、卸商に対して、 なんら効果は無かったのです。

最近では、価格競争を避ける為に、オープン価格の時計商品が 一部出回っていますが、オープン価格の商品は、 ユーザーの方にとって魅力が無いものと思われ、 拡販には至っていないのが現実です。 メカ式腕時計が、ここまで復活して普及してきますと、 中小の零細時計店にとって、時計修理技術をしっかり身につけていれば、 資本力のある大店とて、全く恐れるに足りません。 40年前の様に、各店が時計修理技術を競う様な状況になれば、 腕の良い零細時計店でも充分生き延べられていく手だては、 必ず見つかるのではないかと思います。