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2007年01月22日

●続時計の小話・第3話(諸先生の思い出)

昭和55年の弊店開店以来、今日まで時計工具や材料(パーツ)の仕入れは富山県高岡市にある新谷商店でお世話になってきました。店主の新谷建三氏は 1962年にCMWを取得され、その後日本時計師会・富山支部の支部長をされていました。(時計材料店の店主がCMWを取得された事は珍しい快挙と言えるかもしれません。)

白山市から高岡市まで高速道路が完備し、今では40分足らずで行き来出来るようになり、今まで新谷商店には何回となく足を運んで色んな物を仕入れさせて頂きました。

富山県には岡本利夫先生、新谷建三先生、山本信雄先生等の有名なCMWがおられて、富山県にある時計店の時計修理技術向上を目指して、後進の指導・教育に熱心にあたられました。その甲斐があり、富山県は全国有数の高い修理技術を持っている店が多い県になりました。延べ40名にも上るCMWが富山県で過去に生まれました。(富山県の県民性でしょうか、富山県は商売、勉学に懸命に励む風習があり有名大学にも多数進学している県でもあります)

小生の故郷・滋賀県では、全国的に超有名でいらした行方二郎先生がいらっしゃったにも関わらず、延べ4~5名しかCMWに合格出来ませんでした。いかに富山県の時計店主が、過去において時計技術向上の為に一生懸命に勉強されてきたか窺い知ることが出来ます。(県により技術レベルの格差が多少はあったものと思われます。)

新谷先生のお宅の居間には、後進の指導に熱心に捧げられた功績により、日本時計師会から授与された「フェロー会員証」が燦然と輝いていました。その新谷先生が今月85才で天寿を全うされて、一抹の寂しさを感じています。

今から30~40年前においては、日本時計師会の幹部でいらした飯田茂先生、飯田弘先生、小野茂先生、岩崎吉博先生、多田稔先生、岡本清治先生等の諸先生方が、日本各地からの指導の招聘を受け、全国各地を駆け回られていられました。その献身的なご努力により、日本の時計修理技術は当時、おそらく世界でトップクラスであった事は疑いのない事実です。