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2007年01月22日

●第287話(修理環境について)

地球温暖化の影響でしょうか?北国である小生が住んでいる白山市でも、真冬の今、エアコンを23度に設定していれば、時計修理作業になんら支障はありませんし苦痛な事は全くありません。湿気もなく快適な環境と言えるかもしれません。

今から、35年程前、滋賀県湖北地方の長浜で父の元で、仕事をしていた時、湖北でも真冬になると、『かまくら』を庭に造れるほど降雪がありましたし、軒下に2~30センチの氷柱(つらら)が出来る程、朝は冷え込みました。当時、冬の時計修理作業をする時は大変で、店内に石油ストーブ(当時はクリーンヒーター、フャンヒーターもなく燃焼効率の悪い石油ストーブが有るだけでも良い方でした)が置いてあっても、店内の温度はかなり低く、修理作業をする時、手元に小火鉢を台の上に置いて作業をしました。

手が冷えてくると細かい作業は大変なので、火鉢で手を温めては、修理作業をする繰り返しでした。足下には、今から思えば懐かしい電気足温器を置いて足を温め、膝には小さな毛布を掛けて仕事をしていました。来店客が店に来れば小さな毛布をとっては接客していました。修理作業環境は現在では、昔では考えられないほど良くなったものと思います。

真夏になると、当時どこの商店にもクーラーも無く、扇風機を回して涼を取っていました。(団扇をお客様に当たるように手を振りながら会話をしたりして、のんびりとした時代でもありました)時折、道路に打ち水をして一時的な涼を取ったりしていました。でも100ワット白熱球の元で修理作業する事は大変で、ほとんど効果も無く額や、手の平、甲に汗をかきながら仕事をしたものです。

部品等を跳ばしたりしたらドッと緊張して下着を替えなくてはいけないほど汗を全身にかいたりしたものです。その頃の商店はどこも、店の玄関口を大きく開けていた為、蚊や蝿が頻繁に入ってきて仕事の邪魔をしたりしました。夜遅くまで作業をするときなどは蚊取り線香を机の下に置いてはやっていました。機械式時計の修理には、汗が禁物で当時、私は一日に何十回も手を洗った記憶があります。(昔、諏訪精工舎時代では汗のかきにくい体質の技術者の方が重宝されたと聞き及んでいます)

そんな劣悪な環境の中でも、どの時計店の店主も販売をしながら一日に、3~4個の時計修理をしていた事を思えば、今になってみれば、大変な仕事の量だったと、思い出します。

大都会の都心は、別ですが、地方の小都市の駅前商店街は、どこもシャッター通りになりつつあり寂しい感じがします。昔は、車で通勤している人がほとんど無く、鉄道、バス等で通勤される人が多かったので、駅前にかなりの人が小さな町にも集まりました。朝早くから、駅前商店街は、大いに賑わい、どの店も活気に溢れていました。店内が一番賑わったのも朝か、夕方の夜以降でした。八百屋さんなどは人が多くて店に入りきれないほどでした。商店の変容の様変わりも急激で、昔の懐かしい味わいのある商店街が減少しているのは、本当に寂しい気がします。

当時は頑固一徹の職人気質の商店主が多くその店その店、独特の雰囲気の個性的な店がありました。小生の商店街も『おかみさん会』を作ったりしていろいろと活動しています。しかし、多勢に無勢でなかなか近隣の大型ショッピングセンターに対抗することは大変なようです。