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2007年01月21日

●第218話(時計店の業務の変換)

現在の地域一番店の時計店の店頭風景は、若い綺麗どころの女性店員さんが数名おられ、その方々が接客をされている、というのがおおよその繁盛店の店内風景です。そして幹部社員の2~3名の男性店員さんがまとめ役として、店内に睨みを効かせているというのがほとんどだと思います(時計店の経営者が修理作業をしているなんて考えられない事です。よって本当に時計の事を熟知している時計店経営者が少なくなっているとも言えます)。

今から30年~40年以上前の時計店の風景は、今とはほとんど違った様相を呈していました。9割方の時計店はパパママ店で、夫婦で経営しておられるのが普通でした。腕の器用な店主の店では、親爺さんが一日中キズ見をつけて時計修理に勤しみ、奥さんがいそいそと接客をされていたのが、あたりまえの風景でした。

昔の時計店の競争は、品揃えや資本力、立地、店構えという条件が全てではなく、修理が上手いという事が最大の店のキャッチフレーズになり、時計店の親爺さん達は時計技術の向上の為に、みんなが一生懸命努力したものです。その結果、客観的に評価出来る資格を取得しようと皆さんが躍起になったのです。

そのころ時計店10店あれば、3割ぐらいの時計店の親爺さんは修理が出来ない人がいたため、その人達は修理で稼ぐ事が出来ない為、店頭販売や訪問販売(外商)に力を入れておられました。現在、地域一番店と言われる店は、ほとんど店主が修理が出来なくて、販売に力を入れた店が大きくなったものと思っています。

私が育った滋賀県のN市でも老舗の店が2軒ダメになり、私が子供の頃、とても小さかったお店が今ではダントツの大きな店に成長しています。やはりそのFさんも修理が出来ないために販売に力を入れたために大きくなったのでしょう。

腕の良かった器用な時計職人の店は、クォーツ登場以来修理依頼がメッキリ減り、元々腕時計の販売では荒利が少ない為に生活が出来なくなり、メガネ店に業務を変換したり、宝石専門店へと変わっていったのです。その結果、時計店が全国各地で減少していった大きな原因なのです。

当店はインターネットのおかげで、修理依頼が全国から来る様になり、30~40年前の時計店の懐かしい様相になっています。昔は時計店を店外から眺めたら、時計屋の親爺さんが、キズ見をつけて苦虫を噛み締めた様に渋い顔をして修理をしていたものです。当店にご来店になったお客様も、その様な感じを受けられたかもしれません。今日では自店で修理する店はほとんど無く販売のみの店になってしまい、昔ながらの時計店の一種独特の風景が無くなってしまったのは寂しいような気持ちが起きます。