●第215話(夏の思い出)
1969年に、セイコー社が世界初の市販クォーツ腕時計『SEIKOクォーツアストロン 39S9』を45万円で売り出しました。翌年の1970年には、SSケースに入れて17万5千円にコストダウンをして市販しました。
私の給料がその当時、約3万円だったので、とてもとても手の届く腕時計ではありませんでした。それから月日が30数年経て、クォーツ時計が驚愕すべきコストダウンに成功して、今では定価1000円以下の正確なクォーツ腕時計が買えるまでになった事を思えば、誰がこの価格破壊の事を予想できた事でしょう。
今では、低価格の為に小学生の子供さんでも正確なクォーツ腕時計を何個か持っている時代になりました。私の子供時代の事を思えば、今のお子さん達にとって、腕時計とは手の届かない高嶺の花の商品ではなくなった事に違いありません。逆に言えば、今の子達にとって腕時計は欲しくて堪らないと、恋い焦がれる程の魅力のある商品ではなくなった事でしょう。その点を考慮すれば、腕時計に対する気持ちが若干、子供達にとって薄れてきたに違い無いでしょう。
その事を思えば少し侘びしいような寂しいような気がしないでもないです(おそらく今の子達にとって腕時計は宝ではなく使い捨ての物に成り下がった事は容易に推察出来ます)。誰もが少額で、正確なクォーツ腕時計が買えるという事は、時計メーカーのコストダウンへの計り知れない努力の賜物でしょう。
私が小学校時代、腕時計を必要とした時、例えば、修学旅行、遠足の時、学級委員のみは、腕時計をはめて、学校に行く事が出来たものです。その時、私は母親の手巻きの腕時計をつけて、誇らしげに学校へ行ったものです。滋賀県とか、京都府には、夏には『地蔵盆』という風習があり、各町内には必ずと言って良いほどお地蔵さんが祀ってありました。
盆になると、町内の有志の方々が、スイカ、ぶどう、梨、バナナ、メロン等を奉納し、子供達が夕方五時になると、子供達にその果物が褒美として食べられました。
時計屋の息子だった私は、その時も母親の腕時計を借りて、五時になるとみんなに告げて奉納された果物を頂戴したものです。『地蔵盆』は町内の子供達が主役で、子供20人が座れるほどの大きな縁台を拵え、『おみやげやぁーす!チンコンカン!ろうそく一本、立てやぁーす!チンコンカン!』と言って通行人に、お布施を頂いたものでした。今から思えば、懐かしい少年時代の腕時計の思い出です。