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2007年01月21日

●第212話(ロレックスの仕入れについて)

今から30~40年ほど前は、ローレックスの日本輸入総代理店はスイスの商社『リーベルマン・ウェルシュリ&カンパニー』社でした。リーベルマンの日本支店は、東京・大阪・名古屋・福岡にありました。当時はどんな大手の時計店でも、直接(株)リーベルマンから仕入れをせず、日本各地にあるローレックス販売卸代理店から、定価の66.7%の掛け率で仕入れていました。

当時の主な販売卸代理店は東京地区では、『一新時計(株)』、『(株)太陽商会』、『(株)日新堂』、『(株)吉田時計店』、『(株)伊勢伊時計店』、『(株)堀田時計店』であり、大阪地区では、『栄光時計(株)』、『(株)光貴』、『(株)河合時計店』、『(株)福田時計店』でした。

その頃は、並行輸入品はほとんど流通しておらず、どこの時計店でも正規品を仕入れて販売しておりました。その当時はローレックスという時計は時計が好きな一部の裕福層の方のみが知っているブランドであり、日本でもそんなに数多く売れてはいませんでした。地方の時計店の店頭にもほとんど飾ってありませんでした。私が父親の店を手伝っていたときでも、年間に2~3本程しか売れなかった記憶があります。
当時の高級スイス時計と言えば、圧倒的に知名度が高く人気があったのは、『オメガ』で、その下に『ラドー』、『テクノス』、『ティソット』であり、そのオメガの上級にあったのが『インターナショナル』、『ユニバーサル』でした。さらにその上の位置に占めたのがローレックスでした。全くの高嶺の花の時計だったのです。

今では、日本人の所得も世界の高水準レベルにまで達し、ロレックスといえども、誰もがちょっと無理すれば買える時計になったのです(今日のパティック、バセロン、オーディマが30~40年前のローレックスの立場だったのかも知れません)。
当店は、創業以来ローレックス販売卸代理店から仕入れていました。それでも充分お客様のニーズに対応出来たのですが、これだけロレックスの人気が沸騰してきますと、売れ筋0のスポーツ系ロレックスは、販売卸代理店からなかなか入手出来なくなりました。

日本ロレックス社自体が販売卸代理店を選別しだし、販売卸代理店に供給を絞りだしたのが原因の一つでもあり、また、日本各地の卸代理店の体力が長年の時計店の衰弱により弱くなっていったのも原因の一つなのかもしれません。

今日では、日本ロレックス社が各地域の有力大手時計店を選定しだし、各都道府県の2~5店舗しか正規品を卸さなくなってきました。当店は正規品を『(株)東邦時計』、『(株)中部シチズン時計(一新時計・経由)』から仕入れていましたが、パパ・ママ店の弱小時計店の為に、ほとんど今では正規品が手に入らなくなってきました。
よって、人気のスポーツ系でも潤沢に在庫を持っている有力並行輸入業者から仕入れる様になったのです。

当店があくまでも正規品に固執していたら、ロレックスの割引販売もHPでの販売も日本ロレックス社から規制を受け出来なかったものと推察しています。