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2007年01月21日

●第166話(我が愛するセイコー舎へ)

限定GSの仕入れで少しセイコーと関係が拗れましたが、今でも日本の日本人による精工舎の時計が好きです。なぜこんなにセイコーが好きな体質が私の体に住みついているのか、あれこれと考えてみました。やはり一番の影響は父でしょうか。父はセイコー社が大好きで(株)服部時計店と直に取引している事に、終生、誇りを持っていました(30~40年程前は服部時計店と直に取引している時計店は極限られた一部の有力時計店のみでした)。

そして、セイコー卸商の栄光(株)や、太陽興業(株)とも取引をしていました。2~3ヶ月に1回は大阪に仕入れに父は行っていました(その頃のSEIKOの卸商はセールスマンが腕時計を何百個と持って地方の時計店を回って売り歩いていました。車ではなく汽車での出張でしたから大変な重労働でしたでしょう。日本時計師会(幹事)加藤先生を紹介していただいたのも父が可愛がっていた太陽興業(株)のセールスマンの方からでした。思い起こせば太陽興業(株)の社長さんは長身で三代目服部時計店社長・服部正次氏によく似た方でした)。

実家の店頭にはいつも500本以上のSEIKOがウインドウに所狭しと並べてありました(当時の価格帯は6000円~30000円位がメインでした。今の価格にすると3万~20万円でしょうか。大変な数のセイコー腕時計の在庫を父は持っていました。店の奥にも常時100本くらいの在庫が常にありました)。

シチズン、リコー、オリエントやラドー、テクノス、インター、ロレックス、エニカ、シーマ、ジュベニアその他もろもろは合わせても50本もなかったような気がします。それほどまでに父はセイコーに肩入れしていました。またSEIKOがよく売れた時代でもあったのです。私と同じように父もセイコー社の手抜きのしていない見事な機械が好きだったに違いありません。

『世界のSEIKO』と言われて久しいですが、現在のSEIKOにその言葉が当てはまるのかと言えば少し疑問に思わざるを得ません。何故、SEIKOが現在の姿にまで凋落したのか、いろんな問題点があると思いますが、一番の原因はクォーツ(あえて言えば精度のみに)に執着し過ぎたためでしょうか。

今ではスイス時計業界に大きく水を空けられているような気がします。名実ともに『世界のSEIKO』と言われるように、ツゥールビヨン、メカ式永久カレンダー、メカ式スプリッドセコンドクロノグラフ、ミニッツリピーター等を余力が残っている今、開発・発売して欲しいと思います。売れる売れないは別にしてSEIKOの底力を国内外に発揮・発信して欲しいと願っています。メカ式四大コンプリケーションを発売したら、すごいインパクトがあると思います。それが出来る高度な時計メーカーであると私は確信しています。