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2007年01月21日

●第129話(以前の時計店店頭の風景)

私がこの業界に入った頃の30年程前、腕時計の精度(中級品)は日差プラマ60秒前後は当たり前の時代でした。

来店するお客様の中に、年間数人ほどちょっと変わった方?がおられました。私の父がしている腕時計を分けて欲しいという依頼です。訳を聞くと「時計屋の親爺さんがしているからには、さも時間がよくあう腕時計だろうと思う。」と言う事なのです。
そういうお客様が来るたびに、私の父は今自分がしている使用済みの腕時計を適価で売っていました。その為に父は年間数回新品の腕時計をおろしていました(よって父の愛用の腕時計は絶えず換わっていたのです。新品の中にも出来不出来の物があり、いつも自分の束の間の愛用する腕時計の時間調整を父はよくしておりました。そう言っている私も父ほどではないですが、自分のしている腕時計を数回、お客様の要望により手放した体験があります)。

クォーツ腕時計時代になった今日では考えられないことですが、昔は腕時計の下取りが当たり前でした。三分の一以上のお客様が、今自分のしている腕時計を下取りに出して、新調のさらに良い腕時計を買い求めていました(現在の自動車の中古車市場とよく似ています。ちょっとずつ高い車に乗り換えるように)。そういう商取引が毎日ありましたので、どの時計店にも下取りした中古品が50個~100個ぐらいあったものと思います。

下取りしても中古品の需要はいっぱいあったのです。腕時計が所得に比例してまだまだ高価であった為に、新品が買えないお客様が中古品をお買い求めておられました(結局は売れ残っていった品も沢山ありましたが。売れ残っていった品がアンティークとして再び日の目を見るとは誰が想像できたでしょうか?)

セイコー舎やシチズンがメカ時計の生産を止めてから数年経った頃でしょうか、私の店にもアンティーク腕時計の在庫がありますかという来店客や問い合わせの電話が頻繁にかかるようになりました。アンティークと言ったら語感はイイのですが、所詮中古品ではないかと私は軽く見ていました。アンティーク・ショップ経営者に扇動された一部のマニアだけの嗜好品で、そのうちこの流行も消え去る運命だと決めつけておりました。

そうこうするうちアンティーク(中古腕時計)の修理依頼が舞い込むようになり、OH後、タイムグラファー(歩度検定器)で歩度調整し、腕にはめて5日間程、実測するために実際に付けてみますと、何とも言えないイイ味がするのです。今まで馬鹿にしていたアンティーク(中古腕時計)がいとおしいような、過保護にしてやりたいような、不思議な感情が芽生えてくるのです。長く生き延びてきた機械を温かい目でいたわってあげたいような気持ちなのです(たった5日間腕につける時間だけなのですが。所有している人はさぞかし愛着が生まれるものと思います)。

アンティーク(中古腕時計)に魅了された人々の気持ちは、あー、これなんだなと思うようになりました。かって見ず知らない他人がはめていても何らそんなことは関係ない、新品にはない、それを超越した本当にイイ味(懐古調趣味)があるものだと痛感したのでした。

今では、私はアンティーク(中古腕時計)が新品腕時計と同様に大変好きになりました。でも日本のアンティーク(中古腕時計)の市場価格はまだまだ高値ですね。ちょっと手が出せません。次回はアンティーク(中古腕時計)を安く入手する方法を書いてみたいと思います。