« 第110話(ロンジンのムーブメントについて) | | 第112話(ベトナム旅行レポート) »
« 第110話(ロンジンのムーブメントについて) | | 第112話(ベトナム旅行レポート) »
2007年01月21日

●第111話(セイコークォーツ35SQについて)

読者の皆さんNHK『プロジェクトX』見られましたか?45分の番組の中に全て織り込むのはちょっと無理でしたね(3回シリーズぐらいにはして欲しかったですね)。もっともっと知って貰いたかった事がいっぱいありました。補足の意味を兼ねて私が知っているかぎりのことを書いてみたいと思います(実際には書ききれないほどの量なのですが)。

昭和44年に発売されたセイコークォーツ35SQ(定価45万円)にはIC集積回路が使われていない為に、トランジスター80個、コンデンサー50個、そして超微細なハンダ付け箇所が128個あったのです。それを外径30mm厚さ5,3mmの中に詰め込むのは、至難のワザと言っても過言ではないでしょう。

諏訪精工舎の若手技術陣、藤田欣司氏、栗田正弘氏、相沢進氏、山村勝美氏らは、会社内に畳敷きの部屋を作ってもらい何十日間も泊まりがけで、それこそ命をはって設計、研究、開発に没頭したのです。

その頃、スイスCEHがあっちこっちからパーツを集めて作ったクォーツと違い、セイコーのクォーツは完全自社生産のモノだったのです。エレクトロニクス技師が育っていないにもかかわらず、社運を賭けてGOサインを出した山崎久夫諏訪セイコー社長・服部正次服部時計店社長の先見の明には頭が下がる思いです。

子に遅れをとった第二精工舎は、諏訪精工舎より1年遅れの昭和45年に独自のクォーツ腕時計を開発したのです。その中心にいた人物が有名な井上三郎氏、久保田浩司氏だったのです。服部正次服部時計店社長の叱咤激励・薫陶を受けた二人は、諏訪精工に負けないクォーツを次から次へと出したのです。それがセイコークォーツ08であり、セイコークォーツ43だったのです。

余談ですが藤田欣司氏(テレビ出演者)と言えば、昭和42年のニューシャテル天文台コンクールに水晶懐中時計15個、機械式時計15個を持ってスイスに行かれた人です。自分達が作った水晶懐中時計と共に、中山きよ子氏・稲垣篤一氏・小池健一氏が調整した空前絶後の超高精度機械時計を持って行かれた人でもあるのです。
その時のセイコーのニューシャテル天文台コンクールの成績が、水晶懐中時計分野では1位~5位まで独占、機械式時計分野では4、5、7、8位にズラリと入っていたのです。その結果、長い歴史を誇ったニューシャテル天文台コンクールがうち切られてしまったのです。