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2008年12月19日

●続時計の小話・第95話(久しぶりの懐かしい電話)

1971年度のCMW公認高級時計師試験を同期で合格した、アメリカ合衆国ネブラスカ州に在住の遠藤勉氏から、今日(2008/12/14 PM1時)久しぶりに電話がかかってきました。

彼は、CMW試験合格後、アメリカのベンラス時計会社に日本時計師会米国留学生として、アメリカに渡り、その後も日本に帰国する事無く、アメリカで永住権を得て、現在まで、彼の地で住んでおられる人です。

懐かしさのあまり話が弾んで、40分以上お話をしてしまいました。彼は7年前に時計技術者の仕事をリタイアして、その後は悠々自適の生活をしておられるそうです。米国では、時計職人の社会的の地位も高くて、遠藤君は恵まれた環境の中におられるそうです。

リタイア後、時計蒐集家が集う地元の時計愛好会倶楽部に入会して、自分の保有している腕時計や懐中時計をお互いに見せあいっこして、自慢話に花を咲かせているそうです。

彼の一番の自慢する時計は、1940年代・太平洋戦争中に作られたのではないかと思われる、ハミルトンの船舶専用機械時計『マリンクロノメーター(北極星・太陽の位置を手がかりとして経度と船舶の位置を正確に知り的確な航海をするための船舶にとって欠かせない必需品)』との事でした。

自ら手入れを何年間に一度はして、今でも月差数秒以内の超高精度を維持しているそうで、並のクォーツよりも遥かにいい精度を出すそうです。1940年代のハミルトン社がスイス・ユリスナルダン製マリンクロノメーターを凌駕する様な時計を作っていた事に驚かされました。

アメリカ製工業製品は、日本人の概念として、雑な様な感じを受け取ってきましたが、アメリカ人は日本人に優るとも劣らない器用さを持った民族性がある、と思わざるを得ませんでした。

遠藤君が所有するハミルトン社製マリンクロノメーターは直径12cm程あり、温度補正も完璧におこなわれているそうで、内陸部の気温差の激しいネブラスカ州に住んでいる遠藤君の話では、温度の影響をほとんど受けずに素晴らしい精度を出しているそうです。

第二次世界大戦の頃に、ハミルトン社はアメリカ海軍のオフィシャル時計として採用され、『フロッグマン』という当時としては、防水性能の優れたダイバーズウォッチを開発して、重要なミッションには、欠かせないギアとなっていました。その復刻版として『カーキネイビー』として現在でも発売されていて、アンティークファンには根強い人気を持っています。

近日中に遠藤君から自己所有の『ハミルトン・マリンクロノメーター』の写真を撮って小生に送ってくれるそうで、写真が着き次第、読者の皆様にも公開したいと思っています。

遠藤君の話によると、ネブラスカの時計蒐集家にとって、セイコーの過去の『キングセイコー』、や『グランドセイコー』がアメリカ人に高い評価を受け、人気を博しているそうです。中でも第二精工舎が製造した、手巻き10振動の名機『Cal.45』系が非常に人気を集めているそうです。

私は、アメリカ本国に一度も行った事が無いので、元気な内に渡米をして遠藤君と再会する事を約して電話を切りました。※昭和46年頃、マリンクロノメーターと言えば高級品で新品で20~30万円したものでした。