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2008年03月31日

●続時計の小話・第80話(ジャッケ・ドローについて)

先週の土曜日、3/22にBSジャパンで『機械式時計の故郷、スイスの職人達』という2時間の番組が放映されていました。とても密度の濃い、見応えのある番組で、見終わった後、心地よい満足感がありました。読者の方々も観ておられたのではないでしょうか?

この番組の中では、近代時計史の巨人、アブラアン・ルイ・ブレゲと共に、大きく評価されているもう片方の巨星、ピエール・ジャッケ・ドローの事が大きく取りあげられていました。ブレゲの事は、過去において書きましたので、今回はピエール・ジャッケ・ドローについてお話します。

ピエール・ジャッケ・ドローは、1721年、スイスのラショード・フォンで生を受けました。1735年、バーゼル大学で高名な数学・物理学者ダニエル・ベルヌーイの授業を受け、時計への関心を深め、1738年、自身初の時計工房を開設しました。

時計職人ジョスエ・ロベールの元で各種時計製作に没頭し、富裕層の顧客から、絶大なる賛辞を受ける様になり、1759年、スイス・マドリットで当時の国王、フェルナンド六世によって、温かく迎えられ、複雑なオートマトン等を完売したそうです。

ピエール・ジャッケ・ドローの『オートマトン(オートマトン又は、オートマターとも言います。カラクリ人形、自動装置、という意味です。カラクリの仕掛けで動く機械を総称してオートマトンと呼んでいます)』と言えば代表作に、三品あります。テレビでも放映されていましたが、『文筆家、6000個のパーツから成り立っています』・『音楽家』・『画家』です。

中でも、『画家君』では、右手に鉛筆を持って、マリーアントワネットの横顔を端正に描ききる様子がテレビで映されていました。その繊細な指の動きに驚嘆せざるをえませんでした。フランス国王ルイ16世、マリー・アントワネットの前で実演したそうです。

日本のカラクリ人形では、『寿』等のいろんな字を書く物を観た記憶がありますが、全くその比では無い精工な動きにジャッケ・ドローの天賦の才能が開花した事が解るというものです。まさしく近代のコンピューターを製作したと言っても過言ではありません。その難しさは現在のグランド・コンプリケーションと言えどもお側に寄れません。

天才的な才能を開花させたジャッケ・ドローは、1780年代には、名声を博して絶頂期を迎えましたが、1790年スイスのビエンヌで死去しました。

現在のジャッケ・ドローの腕時計のデザインで、特に有名なのが文字板の中にインダイヤルが二つ重なった、雪だるまの様なデザインの腕時計で、一見してジャッケ・ドローの腕時計と解る物です。

スウォッチグループの中で、ブレゲと共に高級腕時計の一翼を担っています。搭載されているムーブメントは、フレデリック・ピゲ社から供給を受け、世の中にシンプルながらも高雅な雰囲気を持った腕時計として、時計マニアの人達から根強い人気を持っています。

今後の動向として、ブレゲ、ブランパン、グラスヒュッテ・オリジナルと共に、王道を歩んでいく腕時計になっていくでしょう。