●第65話(日本時計技術の恩人・山口隆二先生について)
山口隆二先生は一橋大学で長年教鞭をとられ、時計産業史を専門に研究されてました経済学者です。その先生が昭和20年代の戦後混乱期に所有していた2~3個のスイス高級腕時計を時計店で修理してもらったところ、滅茶苦茶に壊されてしまいました。イイ意味で口の悪かった先生は、その頃の時計店を「くそったれ屋」とまで誹謗中傷されていたのです。そう言われても仕方がないほど、当時の時計店の修理技術は悲惨だったのです(理論は全くなく経験とカンが頼りの時代)。
時計が好きであった先生が、自分の大事にしていた時計を修理するどころか壊されてしまったら、怒り心頭になってしまうのは仕方がないでしょう。とても立腹された先生は、何とか日本の時計店の修理技術レベルを上げたいとあれこれと苦慮されたわけです。海外の文献を調べ上げ、当時米国で何十年に渡り行われていた時計師技術試験(初級と上級CMWの2つがある)の導入をはかられたわけです。
そういう経緯で日本で初めて時計師試験が行われたのが、米国時計学会(HIA)日本支部主催のCMW(公認高級時計師)試験だったのです。それは昭和28年の事です。その時の日本支部長になられたのが井上信夫先生(服部セイコー修理部部長・後日トップ合格者に井上賞)でした。それから毎年数名のCMW合格者を生み、日本の時計店・及び時計メーカーサイドの技術レベルも格段に進歩し、一時は日本の時計メーカーよりもCMWの技術の方が上を行く時代があったのです。CMWが日本時計産業のレベルのかさ上げをしたといっても過言ではないのです。
その理論的中核におられた先生が、第1回CMW合格者の、末 和海先生(時計店経営からロレックスサービス部長そして東証第2部上場ジェコー時計役員までのぼり極められた人)と小野 茂先生(オリエント時計設計技師長)です。
その後CMW試験は発展し32回まで続いたのです。山口隆二先生は全国各地に出向いて沢山の講演をされ、スイス時計産業の話とか時計師の心構えとかを熱心にお話されていました。(株)村木時計(現(株)ムラキ)が菅波錦平先生を中心として行っていた時計技術通信教育の最高顧問になられた山口先生は、通信生に対していろんな薫陶を授けられました。私もその時の受講生の一人です。日本時計技術を語るとき、忘れてはならない恩人が一杯おられるのです。次回またこういうお話をしたいと思います。