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2007年01月21日

●第196話(経験と勘と理論について)

長浜にある家業の時計店を継いだ時(約30年前)、当時長浜で腕のいい技術の時計店として有名であった父親の店には時計技術関係の本は一冊もありませんでした。約30年前の時計店では、ほとんど各自の店で時計修理をしていましたが、どこも似たり寄ったりで、時計技術の専門書をしっかり読んで時計修理を携わっている人は余りいなかったと思います。どの店の店主も経験と勘で修理をしていたものと思います。

昭和40年代初頭に労働省が行った「時計修理技能士試験」を受験する為に、父親は初めて「時計学教科書:著者佐藤政弘」の本を購入し、それ一冊のみをよく読んで父親は1級に合格しました。おそらく父親はそれまで長年の経験と勘で時計修理をしていたと思います。確かに経験と勘は侮りがたいものには違いないのです。日本光学(株)の天体望遠鏡の光学レンズの研磨に携わる著名な職人さんは、手の感覚で1ミクロン単位のレンズ研磨仕上げをするそうです。ある著名な金床職人さんも、1ミクロン単位で金型を作り上げる事を聞き及んでおります。こういう事はいくら理論を深く知っても、持って生まれた人間の天性の勘と経験がものを言うのでしょう。

私がCMWを受験する時、時計修理の経験は2年余りであり、経験と勘は父親とは問題にならないくらい僅かなものでした。ですから私はまず最初に時計技術の理論を完全に把握するために、あらゆる内外の技術叢書を取り寄せて、勉強したのです。

米国時計学会から名誉あるヘイガンス賞を受賞している菅波錦平先生は「CMWとは現在の国家試験の1級の課題に比較すると、三段に位する。旋盤による巻真作り、天真作りもあり、1級受験生には手も出ない難しい試験で、この試験こそ時計修理工の技能の程度を示す本格的な試験なのであります」と述べられています。

私はこの文章を読んで、CMW試験合格は時計職人として第一歩の関門であると理解しました。頂上の九段クラスの技術を持った末和海先生・行方二郎先生・小野茂先生・加藤日出男先生・多田稔先生等を目指すべき、今日まで経験と勘を養って来たつもりですが、しかし、まだまだ諸先生の方々が遠い遠い存在であることを認めざるをえません。

私が時計技術の理論を本格的に勉強し始めた時、脱進機調整が完全に仕上げてあるか確認出来るスジカイ試験(CMW第一回合格者・末和海先生が発見されたものです。

Greater Angular Test 総合角度試験とも言う。)というものがありました。これは時計脱進機修理の秘伝中の秘で、どの技術叢書にも書かれておらず、ほとほと困っておりました。どういう風にすればいいのか全く見当がつかず、その頃オリエント時計の設計技師として敏腕をふるっていた小野茂先生に直接電話をして聞きました。電話で聞いてもその時はハッキリと理解出来なかったのですが、試行錯誤の結果、ようやくその検査方法が理解出来ました。現在スイスの超高級時計を生産している時計メーカーは必ず、そのスジカイ試験をして出荷しているものと思います。時計修理技術には理論・経験・勘は切っても切り離せない重要な要素でしょう。